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長岡 圭子さんの体験談
利用家庭
福島県会津坂下町のホームスタートのオーガナイザーに出会い、ホームスタートの利用につながった時のことをお話いただきました。
地震があった日は、浪江町内は停電と断水状態でしたが、うちは商売をしている関係で、電気は一部屋使えた状態だったんです。でも、とにかく余震が激しくて、、、。その日は怖くてなかなか寝れなくて、、、。その翌日、割れた食器が散乱しているお店や住まいの片づけをしかけていたとき、防災無線で、「津島方面に避難してください!」と流れてきて、数時間だけのことかと思って着替えもなにも持たずにうちを飛び出したんです。避難所に向かう道路はすごく渋滞していました。避難所はきっともういっぱいになってるだろうし、子どももまだ母乳を飲んでいる時期だったんで、避難所に行くのはあきらめて道の駅の駐車場で一晩を過ごしました。東京の友達が心配して大丈夫?ってメールをくれたんですが、何が起きているのかさっぱりわかりませんでした。ガソリンもほとんど入っていない車で出てきたので、暖房もつけるのを我慢しながら子どもを抱いて寒い夜を車内で過ごしました。離乳食は何とか手に入れられたんですが、食べ物がなくてあちこち走り回った記憶があります。
その後、家には戻れぬまま郡山の親戚のうちに身を寄せましたが、郡山も大変な状況で主人の仕事も見つからず、東京に引っ越したんです。仕事は見つかったものの、震災に対する感じ方も東京の人とはずいぶん違うと感じたし、自分じゃ何もできないかもしれないけれど、福島がどうなっていくか見なきゃいけないと思って、やっぱり県内に戻る決心をしました。主人は和菓子を作る人だったので、自分が作ったもので元気になれる人がいるならそうしたい、という思いもあったので。それでご縁があり、家族で会津坂下町に来たんです。「太郎庵」の社長ご夫妻には、娘の幼稚園や住まいのことやら本当にお世話になりました。
会津坂下町に来たころは、その状況が本当は受け入れられなくて、「なんでここにいるんだろう、、、」っていう気持ちばっかりで、うちに引きこもっているしかなくて、誰とも会いたくなかったし、、、。もう、ぐちゃぐちゃな状況でしたね。 子どもの幼稚園の送り迎え以外はほとんど家にいて、誰ともしゃべりたくないしと思っていたし、知らない人ばかりだったので別にしゃべらなくてもいいとも思ってました。あの頃は、こんなに長くいることになるとは想像していなくて、まぁ半年位で浪江町に帰るだろうって思っていたんで、そんなに頑張って知り合い作らなくてもいいか、位の気持ちだったんだと思います。
でも、しばらく経って当分は浪江には帰れないとわかってきて、ある意味しかたがないと割り切って、会津坂下町で暮らしていこうと気持ちを切り替えるようになっていきました。子どもも友だちができかけていましたし。でも、他人様の手を借りる勇気がまだなくて、ファミリーサポートとか、ホームスタートとか渡部さんから案内をもらったり、声をかけていただいていたけれど利用する気になれずにいました。
幼稚園の親子遠足があって、まだ小さな下の子を連れていくしかなくて。でも、遠足に行ってもお姉ちゃん自身と遊んでやれなくてすごく寂しそうだったことがあったんです。その時に、誰かの手を貸してもらおうという風に感じ始めました。それに、浪江にいた頃は私も仕事をしていて、上の二人の娘は母に見てもらう時間が多かったんですが、下の子とは一日中一緒にいなくちゃいけなくて、自分にゆとりがもてないことが悩みでした。3人目の子どもだけど自分にとっては初めての経験で、もうシャットアウトできるならしたい!っていうくらいの気持ちでした。自分の子なのに、、、あの子もこんな親じゃいやだろうなって思ったり、、、。お互いにキリキリし合っている感じで。あの子もまだ話せない時期だったけど、ぎゅっとつねるように腕を掴んできたり、物をなげるしぐさをしたり、何かを訴えていたんでしょうね。渡部さんが以前届けてくれていたホームスタートの案内のことを思い出して、お願いしてみよう、と連絡をしました。
ホームビジターの加藤さんに来てもらうのが本当に楽しみでした。子どもたちも「今日もおばちゃん来るの?」って毎日毎日きいてきて、とても楽しみにしてましたし。私自身にとっても友だちと話すのとは違うちょっと年上の人だったからか安心感もありました。子どもとだけ向き合っていると公園に行く気にもなかなかなれなかったけれど、加藤さんが来てくれるようになってから「散歩してみようか?」っていう風に自然になれて、娘も私もお互いの心が溶けていくような感じでした。「パパ!今日もおばちゃんと遊んだんだよっ!」って嬉しそうに話すのを見て、主人も来てもらってよかったと言ってました。自分一人で二人の子どもを連れてでかけるのは大変だったし、その気力がもてなかった時に来てもらえてよかったと思います。ホームスタートが終わった後も、公園の前を通るたびに「ママ!ここおばちゃんと遊んだところだね!」って子どもが言うんで、「じゃぁ、ちょっと遊んで行こうか?」って、時々外で遊ぶようになりました。 今では私も幼稚園のお母さんたちともいろんな話をするようになりました。雪の生活はまだちょっと慣れなくって、霜やけとかできちゃってますけど(笑)。主人も和菓子づくりに打ち込ませてもらっていて、またお店を持てるようになりたいねっていう話を夫婦でできるようになってきました。